「寺山修司ゆかりの地へ行ってみよう!」三沢商業高校生徒が案内板を設置

8月30日、三沢商業高校生徒の手によって市内の寺山修司ゆかりの場所に案内板が設置されました。

 

寺山修司は青森県で生まれ、18歳で歌壇にデビュー。1967年に結成した演劇実験室「天井棧敷」は多数の公演を行い、海外でも高い評価を得ました。詩人、エッセイスト、小説家、作詞家、映画監督、劇作家など幅広い分野で活躍した寺山修司は、1983年に47歳で急逝した後、今もなお多くの人々に影響を与え続けています。その修司が多感な少年時代を過ごしたのが三沢の地。寺山修司の作品や人間形成にも多大な影響を及ぼしたと言われている三沢には、氏ゆかりの地も多く、氏の研究や情報発信などの活動を続ける「寺山修司五月会」は、ゆかりの地を訪ねる人々にわかりやすい案内板の設置を企画しました。

 

一方、三沢商業高校では、農業や漁業、観光などさまざまな分野で、生徒の手による地域に密着した総合学習を行っており、その中の一つである市役所部会の7人は寺山修司の情報発信を目的に、これまで「寺山修司記念館フェスティバル」などで活動。今回、寺山修司五月会から市を通じた案内板設置の提案に応える形で参加することになりました。7月30日、夏休み中の校内で市役所部会の生徒によって手作りされた案内板は全部で8枚。それぞれの地名に寺山修司作の短歌と寺山修司記念館・佐々木館長による解説文が添えられ、修司の伯父が経営した「寺山食堂跡地」や同級生とかくれんぼして遊んだ「不動神社」など、この日は5カ所に設置されました。

 

案内板作成の際は、方法などを自分たちで考えながらも細かな作業に苦労したという三沢商業高校市役所部会の生徒たち。設置した案内板を見て「高校への登下校路にあるので早くみんなにも見て欲しい」とうれしそう。これまでに寺山修司記念館フェスティバルの宣伝・広告などを行い、今後は市などと連携しながら寺山修司にゆかりある「寺山ランチ」のメニュー作りを目指すとのこと。柔軟な発想によるオリジナルの秘策もあるようで、「全国に寺山修司を広めたい」と元気いっぱいに活動への意欲を話してくれました。