昔から伝わる地名には様々な由来があります。三沢市の地名のなかからいくつかをご紹介します。

   

1.天ケ森(あまがもり) 4.仏沼(ほとけぬま) 7.金糞平(かなくそたい)
2.砂森(すなもり) 5.織笠(おりかさ) 8.淋代(さびしろ)
3.塩釜(しおがま) 6.六川目(むかわめ) 9.三川目(みかわめ)

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 1.天ケ森(あまがもり)

 市最北部に位置し、高瀬川を挟んで六ヶ所村に接している地域です。いつごろ、どこから、なんのために来たのかよくわかっていませんが、この地に一人の尼さんが住み着いてから「尼森」と呼び、やがて「天ヶ森」と呼ばれるようになりました。平成14年3月末、天ヶ森小・中学校が閉校となり、その後、天ヶ森射爆撃場の被害に伴う集団移転により、現在この地は無人となっています。   

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 2.砂森(すなもり)

 天ヶ森の南に位置し、砂丘が大変発達しているさまを「砂の森」と呼び表したことからこの名がついたようです。三沢には、天ヶ森から淋代海岸にかけて砂丘が海岸線に平行に分布しており、昭和8年3月の三陸大津波を契機に植えられた防潮のための松林が繁茂する前は、シロヨモギ、ハマボウフウ、ハマナスが咲き乱れ、日本でも指折りの美しい砂丘が見られました。「天ヶ森」地域と同様、集団移転し、現在は無人となっています。

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  3.塩釜(しおがま)   

  砂森地区の南に位置する集落です。江戸時代の終わりごろ、塩作りが行われ、それ以来「塩釜」と呼ばれるようになりました。当時、塩は大変貴重品で、今の東北町、六戸町などに売られていました。

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 4.仏沼(ほとけぬま)

 小川原湖東岸と太平洋岸砂丘地帯にはさまれた仏沼は、もともと淡水の沼(ラグーン:潟湖)でしたが、干拓されその後ヨシ原となりオオセッカを始め貴重な野鳥の繁殖地となっています。植物相、動物相ともに豊富で、2005年11月、ラムサール条約登録地になりました。ところで「仏沼」の由来ですが、南北朝時代(1336年~1392年)谷地頭の「寺屋敷のツキ」のあるあたりに専念寺というお寺がありました。このお寺が戦乱もしくは強盗に襲われた際、信心深い僧侶が仏像を背負い逃れましたが、敵に追いつかれ、仏像を沼に投げ入れたことから、その沼を「仏沼」と呼ぶようになったという言い伝えが残っています。なお、専念寺はその後、百石町から轟(とどろき)を経て現在は五戸町に在ります。

 

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 5.織笠(おりかさ)

 塩釜の南に位置する集落。織という女の人が旅の途中でこの地で休んだところ、笠を忘れ、あわてて戻ってきたところ、すでに笠はなく、沼になっていました。その沼を織笠沼と名付け、まわりの土地を「織笠」と呼ぶようになったといわれています。

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 6.六川目(むかわめ)

 旧百石町(現在はおいらせ町)から三沢市にかけて数字に「~川目」をつけた地域が見られます。これは、太平洋に向かって6本の小川が流れており、この小川のほとりに住みついた人々が、一本目の川を「一川目」、二本目の川を「二川目」と南から順番に名づけたなごりです。このように、海に流れる川のそばにすみついた人々の町を「川目集落」といい、江戸時代から漁業で生活を営んでいました。 

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 7.金糞平(かなくそたい)

 10~11世紀頃、出雲の国(島根県・鳥取県)で鉄づくりが始まりましたが、その鉄づくり集団が、砂鉄、木材を求めて日本海を北上し、各地で鉄づくりを行いました。その中で津軽海峡を越え、三沢の海岸にやってきた人々は、谷地頭で「たたら」を作り、砂鉄を炭を燃やして溶かし、鉄を作りました。鉄づくりの過程で鉄滓(てっさい)~鉄のカス~が発生します。金糞(かなくそ)という名はこの鉄のカスを意味しており、市内各地でたくさん出てきています。 

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 8.淋代(さびしろ)

 「淋代」という地名は、枯れた草原という意味があり、この地名がある淋代海岸から三沢飛行場にかけての一帯は、かつて馬の放牧場があったほどの大草原でした。昭和6年、「ミス・ビードル号」の太平洋無着陸横断飛行が成功すると、その離陸地点である「淋代海岸」の名は一躍有名になりました。

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 9.三川目(みかわめ)

  旧百石町(現おいらせ町)から数えて三番目の「川目集落」が三川目です。他の「川目集落」同様、漁業(イワシの地引網漁)がさかんで、人々はこの川のほとりに住み、川の水を生活用水に使ったり漁網の水洗いをしたりしていました。現在この地には三沢漁港が整備されています。

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