三沢大火

       発生場所       三沢市中央町二丁目

   発生日時       昭和41年1月11日  14時20分通報

   発火原因       ガスコンロにより

   発生時風力      西風22m/s

   焼損棟数       450棟

   罹災世帯及び人口   828世帯  2152人

   死傷者        死者 0人  重軽傷者 13人

       損害額        1,565,605,000円

       応援消防隊      米軍三沢基地消防隊

              三沢航空自衛隊

              八戸海上自衛隊

              十和田地域消防本部

              八戸地域消防本部

              北部上北広域消防本部

                       中部上北広域消防本部

                     各地域消防団

        鎮火日時       昭和41年1月11日  19時55分  

 

概況(三沢大火誌から)

 サイレンの怒号、血走った目で逃げまわる市民、家財を運ぶ車、泣き叫ぶ声、吹きつける炎風、消防の死闘も空しく紅蓮の炎と黒煙に覆われ地獄絵図を繰広げた三沢市の中心街、悪夢のようなあの日、昭和41年1月11日を三沢市市民は永久に忘れることは出来ないでしょう。そして、生涯に二度とありえない悲惨な体験を味わったことと思う。

 北国のもっとも厳しい寒さの中で、「災害は忘れた頃にやって来る」という、言葉が生きているという事をあの当時体験した罹災者の心境はいかなる文章家、いかなる弁説家も適確に表現する事は出来ないでしょう。

 昭和41年1月11日午後2時14分、三沢市中央通の繁華街から出火した火は、折からの瞬間風速(22m~26m)の西風に煽られて燃え広がり、目抜き通りの商店街をひと舐めにし、更に南と東に5時間40分に亘って延焼、中心街の商店、住宅など450戸を総舐めにして午後7時55分鎮火した。この火災で828世帯が焼け出され、2,152人の人々が路頭に迷い、その損害額は15億6千5百60万円の巨額に達した。この火災の状況は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などあらゆる報道機関によって津々浦々に宣伝され、このため誰いうこともなく「三沢大火」と呼びようになった。

 

 

 

 

 

                             

                          

                                

                              

 

 無火災都市宣言

大火から1周年目を迎え、三沢市では全国に先がけて「無火災都市宣言」を採択した。

               三沢市無火災都市建設市民大会                

                    宣     言

 昭和41年1月11日は、我々三沢市民の永久に忘れることのできない日であった。

  折からの風速23メートルの強風にあおられた火勢は我々のなすすべをかえりみず、逃げまどう者を追うごとく強まり、一瞬にして本市の中心街を焼野原と化し、焼失家屋399棟、被災世帯828世帯、被災人員2,152人のぼる未曾有の大火災害となったのである。

   あの言いようのない恐怖、戦慄、悲しみは筆舌に尽くしがたく、あたかも悪夢の如くいまだありありと思い起こされるのである。

 あれから1年、全国各地からの暖かい御援助と各関係機関の身にあまる御協力のもとに、あらゆる艱難辛苦を経て今日これまで復興し、再起の緒についたとは言え、その傷こんいまだいえず、その恐ろしさをまざまざと認識させられたことから、今あらためて無火災都市の建設を痛感するものである。

 本日、三沢市大火1周年を迎えるにあたり、我々は謙虚に大火のよってきたる原因を反省し、全国民の暖かい御支援に感謝しつつ、尊い人命と心血を注いで築きあげた貴重な財産を火災から護り、住みよい街をつくるため市民一丸となって無火災都市建設に邁進するものである。

 右三沢市無火災都市建設市民大会の名において宣言する。

 昭和42年1月11日

   三沢市無火災都市建設市民大会