三沢基地の概要
三沢基地の概要
沿革
三沢基地は昭和13年に旧日本海軍が建設に着手し、昭和17年2月に三沢海軍飛行隊の飛行場として開設されました。終戦後、昭和20年9月に米陸軍施設工兵隊「俗称 ワイルド・キャット・トゥループス(山猫の群れ)」に接収され、飛行場等施設の建設改修が行われました。昭和23年に米空軍第49戦闘航空群が駐留、昭和25年の朝鮮動乱により三沢基地は前線支援基地として重要性が一段と増し、滑走路等の整備拡張が急速に行われました。その後、昭和45年には在日米軍の縮小計画が発表され、翌46年3月から6月にかけて飛行部隊が韓国や米本土へ移駐し、三沢基地から飛行部隊が撤去されました。
昭和47年、米海軍西太平洋航空隊三沢分遣隊が設置され、昭和50年には米海軍三沢基地隊に改編になり、西太平洋艦隊航空隊(厚木海軍航空基地)の傘下に属することとなりました。
昭和59年まで米軍三沢基地の管理運営にあたっていた米空軍においては、第6112航空基地団から第432戦術戦闘航空団への編成に伴い、米軍三沢基地の管理運営は同航空団に引き継がれました。昭和60年から同航空団へのF-16戦闘機の配備が開始され、平成3年には同航空団は第432戦闘航空団に改編され、平成6年には第35戦闘航空団となり、現在に至っています。
一方、航空自衛隊は昭和29年の北部訓練航空警戒隊の発足をはじめ、昭和33年に北部航空方面隊司令部が発足、それぞれ在日米軍三沢基地において基地の共同使用を開始しました。昭和36年に北部航空施設隊、北部航空警戒管制団が配備され、昭和46年に米軍から航空警戒管制権を引継ぎました。
昭和46年には八戸基地からF-86F戦闘機を主力とする第81航空隊が移駐し、昭和52年からF-1支援戦闘機に機種更新が開始されました。昭和53年には、小牧基地の第3航空団が三沢基地に移駐し、F-1支援戦闘機を主力とする2飛行部隊の「第3航空団」が北部航空方面隊隷下に再編成されました。
平成13年、第3航空団所属の第3飛行隊ではF-1支援戦闘機から日米で共同開発されたF-2支援戦闘機へ機種更新されました。第8飛行隊は平成20年4月からF-2支援戦闘機の運用を開始、平成21年3月にはF-4EJ改機が引退となりました。
平成30年には、航空自衛隊が初めて導入するステルス性に優れたF-35A戦闘機が三沢基地に配備され、翌31年にはこれを運用する第302飛行隊が新編されました。これに先立ち、F-2戦闘機を運用する第8飛行隊が平成28年に築城基地へ、同じく第3飛行隊が令和2年に百里基地へそれぞれ移転しました。同年12月には、第301飛行隊が発足し、これによりF-35A戦闘機の運用は2飛行隊態勢となりました。
三沢市には三沢基地と並び、三沢対地射爆撃場が設置されています。この三沢対地射爆撃場は、昭和27年、三沢基地北約20kmの位置に三沢飛行場所属の航空機の射爆撃訓練場として設置されたものであり、同射爆撃場は、昭和44年以降米軍と航空自衛隊が共同使用し、模擬爆弾の投下訓練や射撃訓練が行われています。現在、同射爆撃場は米空軍の管理下にあります。
三沢基地の施設概要
名 称 |
面 積 |
三沢飛行場(FAC-2001)
(三沢市、東北町ほか) 滑走路 約46m×約3,050m(共同使用) 弾薬庫地区、住宅地区、姉沼通信所地区、 貯油地区等 |
約1,597ha(約1,566ha) ※米軍三沢基地に囲まれた航空自衛隊三沢基地の約1haを含む
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航空自衛隊三沢基地 | 約33ha(約33ha) |
三沢対地射爆撃場(FAC-2012)(共同使用) (三沢市、六ヶ所村) |
約766ha(約645ha)
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八戸貯油施設(FAC-2006) (三沢市、八戸市、おいらせ町) 油送管敷設 八戸市~おいらせ町~三沢市 |
約17ha(約5ha)
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※ 注1 ( )内面積は、三沢市の行政面積分
※ 注2 FAC-20××は、米軍でつけている施設番号
米軍三沢基地の主な配備部隊と航空機
部隊名 |
航空機 |
米空軍第35戦闘航空団 米海軍三沢航空基地隊 米海軍第7艦隊哨戒偵察航空群/前方艦隊航空司令部隷下部隊等 米宇宙軍統合戦術地上ステーション 三沢情報運用センター |
米空軍 F-16C/D戦闘機 米海軍 P-8A哨戒機 米海軍 C-12輸送機 米海軍 EA-18G電子戦機(ローテーション配備) |
航空自衛隊の主な配備部隊と航空機
部隊名 |
航空機 |
北部航空方面隊司令部 第3航空団 北部航空警戒管制団 北部高射群 北部航空音楽隊 偵察航空隊 三沢ヘリコプター空輸隊 |
F-35A戦闘機 T-4中等練習機 E-2C/D早期警戒機 CH-47J輸送ヘリコプター RQ-4無人偵察機 |