当館は遺族の寺山修司の母:はつ氏より三沢市に寄贈された遺品を、保存公開するために約3年の歳月をかけ建設されました。寺山修司と親しかった粟津潔氏のデザインをもとに、九條今日子氏をはじめとする元天井棧敷のメンバーなど数多くの関係者のアドバイスを得て平成9年7月に開館を迎えました。延床面積約833m2の展示棟とホワイエ棟が渡り廊下でつながり、上空から見るとその様はテラヤマ演劇・映画の小道具として登場した「柱時計」を彷彿とさせます。ホワイエ棟外壁には149枚の陶板が貼り込まれ、寺山修司と交流のあった約30人のメッセージ陶板がテラヤマ作品を題材にしたものとともに、にぎやかに彩っています。テラヤマ芸術はもとより、当市の総合芸術発信基地としての一翼も担っています。 

職業は、寺山修司です

 寺山修司は、昭和10年12月10日に寺山八郎、はつの長男として出生しました。9歳の時、青森空襲で焼け出され、父親の実家がある三沢市で小学校4年生から中学校1年生まで過ごしました。父親が戦死、母親は九州へ働きに出るようになり、そのため、青森市の母親の親戚宅である映画館歌舞伎座で生活し、青森高校へ進学します。
 学生時代は短歌や俳句などに没頭しました。早稲田大学教育学部国文学科へ入学し、18歳の時、『チェホフ祭』を発表し、第2回「短歌研究」新人賞を受賞しました。腎臓の難病ネフローゼとの3年半にわたる闘病生活を経て、ラジオドラマ『中村一郎』を発表し、民放祭会長賞を受賞した後、シナリオライターとして歩み始めました。ラジオドラマから、演劇、映画、テレビドラマへと活動範囲を広げていき、31歳の時に、横尾忠則、九條映子らと演劇実験室「天井棧敷」を設立しました。専用の劇場を備えた「天井棧敷館」を所有し、47歳で亡くなるまでの17年間、2千人近い団員が入れ替わり立ち代わり参加しました。国内だけでなく海外での公演活動も多く、特にヨーロッパでは前衛芸術への評価が高く、毎年のように招待されて公演を行いました。
 寺山修司は、いつも斬新な企画にあふれ、病身にもかかわらず演劇や映画の現場に参加し、死の直前まで執筆活動を続けました。詩や短歌、俳句、映画、演劇、ラジオドラマ、文学から競馬やボクシングにいたるまでの幅広い評論、小説、作詞、エッセイなど多領域にわたる前線で活躍していたため、「職業は、寺山修司です」と名乗っていました。
 時代の先駆者として疾走し続けた寺山修司が、故郷として振り返るのはいつも三沢でした。自叙伝的作品にはいつも、多感な少年時代を過ごした三沢市近郊の風景や同窓生の名前が登場します。

  

記念館の散策道に立てられた文学碑

― 百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる ―

 世代を超え、時代を超えて、人々の心に強烈に作用しながらテラヤマワールドは生き続けます。


ご利用案内

  • 開館時間
    9:00~17:00(4月~10月 入館は16:30まで)
    9:00~16:00(11月~3月)
  • 休館日
    毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
    年末年始(12月29日~翌年1月3日)
  • 無料開放
    毎週土曜日に来館する小中学生は無料でご利用になれます。(但し、イベント等により開放しない場合もあるので確認の上、お出かけください。)

入館料

 

一般

高大学生

小中学生

個人

300円 

100円 

50円 

団体(20名以上)

200円 

100円 

50円 


お問い合わせ

寺山修司記念館
〒033-0022
青森県三沢市大字三沢字淋代平116-2955
TEL:0176-59-3434
FAX:0176-59-3440

www.terayamaworld.com/


大きな地図で見る